チンギス・カンとその友人たち



 
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  「長春真人西遊記」の解明 Elcidation of the route of "Travels to the west of Qiu Changchun"

彼の旅行記は弟子の李志常が記述し、「長春真人西遊記」として残っています。その行程が図となっているのは、日本では下の二つです。 その出版年には五十年以上の間隔がありますが、それほど詳しくなっているようには見えませんし、行程の違いの理由が良く分かりません。 二人が出会った地点が一番知りたいのですが明かにされていません。グーグルマップを使えばもっと詳しく道筋を辿れるのではないかと思いました。


出発地は宣徳府、現在の張家口市宣化区です。西遊記の記述に従い、立ち寄った地点を順に確認して行来ました。論考を読めば旅の速度が27km/日前後の区間と、 60〜80km/日程度の区間にはっきりと別れているのを知るでしょう。これは牛車と騎馬による行程速度の違いです。これによりどのように旅を進めたのかを推測することができ、 今まで不明であったいくつかの地点を明らかにすることができました。そして出来上がったのが次の地図です。
地図を見る
このように決めた根拠を、行程毎に地図を入れて詳しく説明しています。 グーグルマップを見ながらあなたも当時の旅を再現して下さい。困難な旅程を踏破する喜びが味わえ、真人の思いや、チンギス・カンの息吹にも触れられるでしょう。 思ってもみなかったような所に遺跡を見つけ、道路標示のない所に激しい交通の痕を見出して驚くでしょう。 研究ノート改訂4版にして、大きな発見が三つ揃いました。

@天山ウイグル国の首都として知られていたビシュバリク(ベシュバリク)は通説では北庭故城とされていますが、
 現在のウルムチである。
A西遼(カラ・キタイ)の首都として知られている大石林牙(クズオルド)は、
 現在のオン・ビル・ジュルガという寒村である。
B長春真人とチンギス・カンが初めて会ったのは、
 現在のアフガニスタンの町バグラーンである。

筆者としては完成しましたので、研究ノートは止めて、論考とします。読めば、これらの結果に納得が行くでしょう
 論考(pdf)を読む

なお、チンカイ城をはじめ、他の遺跡の探査と調査にも多くの日本人研究者が係わっています。
その成果の上にこの地図が出来たことを付け加えておきます。
          
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