チンギス・カンとその友人たち



 
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  クイテンの戦い The Battle of Khuiten

下の地図は、1202年に起きたクイテンの戦い直前のモンゴリアの勢力図です。戦いの前年にジャムカはアルグン川とケン川の合流地点でグル・カンに推戴されましたが、 テムジンにカイラル川で敗れました。テムジンはそのまま先に征服したタタル部族の地(オンギラト部族の南)で越冬し、翌年春、ウルクイ・シルケルジト河地方にいた残りのタタルを殲滅しました。そこに夏ごろオン・カンがやってきたところ、先に痛めつけておいたナイマン軍が 復讐のために攻め寄せて来るとの知らせが届きます。いままで、テムジンやオン・カンに何度も負けていたメルキトなども敵に加わります。そうしてこの戦いが始まるのですが、 どこで戦いがあったのか、四つの史書の内三つでははっきりしません。ただ集史のみ、この戦いはモンゴリアの東部、大興安嶺山脈付近で行われたとしています。しかし、この戦いで敵側にいた上記のジャムカの行動などを考えると、私にはそうは思えませんでした。 各史書を詳細に比較検討した結果、今まで思ってもみなかった所が戦場であると判明しました。北モンゴルの工業都市ダルハンでした。戦いの前に輜重を入れたところは、現在のオラン・ヘレム遺跡、当時アラン塞 と呼ばれたところで、その位置するところがアラル(島)でした。
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