チンギス・カンとその友人たち



 
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  チンギス・カンの前半生 The first half life of Chinggis Qan

1206年、テムジンは漠北に住む遊牧部族を平定して、チンギス・カンの称号で呼ばれるようになります。一応44歳の時とされています。 しかし、彼の事績が詳しくなるのはその10年前ほどからに過ぎず、それ以前がどのようであったのか、資料は多くを語っていません。 各史書を比較し、新たな観点から見ると多くの事実が分かってきました。その誕生とテムジンと言う名に秘められた意味から、大人になってオン・カンと組み他部族制圧を始めるまでの、 一番曖昧模糊としている時期をできるだけ深く理解しようと努力して見ました。 先に進む
 

  モンゴル史の地名 Place names in The History Books of the Mongols.

モンゴル史に出て来る地名にはよく分からないのが多くあります。 いくつかの地名の位置を提案します。
チェクチェル山とチクルク山の位置、「エデル、アルタイの合流点」の位置、 キジル・バシの地、アブジアコデゲリ。
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  クイテンの戦い The Battle of Khuiten

モンゴル部族のカンであるテムジンと、草原随一の大部族ケレイトのカン、トオリル(オン・カンの名で有名)は協力して他部族への攻撃を行っていました。 負けていたナイマンとメルキト部族は同盟を組み、上述のジャムカも加わって反攻してきました。双方がクイテンで衝突します。しかし、その戦場がどこであったのか 四つある史書を読んでもよく分かりません。現在、「集史」によって大興安嶺山脈の付近であったとするのが学会の趨勢です。しかし、私には元史の記述が正しいとしか考えられませんでした。 そして、ロシアに近い現在のダルハンが戦場であったと結論しました。 先に進む
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