チンギス・カンとその友人たち



 
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 出版案内

このHPの内容に加え、新たな歴史解釈も付け加えて、「チンギス・カンの駆けた道」を文芸社より出版しました。

既に読まれた方から、系図と年表が欲しい、との要望がありました。ここからダウンロードして下さい

モンゴル系図  チンギス・カン年表
 

  最新記事

最新 コラム4 「二倍年暦が現代に存在?」をアップ
                   
 

  800年前のウクライナ戦争

2022年の2月の末、ロシアがウクライナへの侵攻を始めました。五月の半ば、戦の終わりはまだ見えません。 ロシアのプーチン大統領の、時代錯誤の考えから起きたものと考えますが、論評は避けます。
今を遡る800年前にも、現在と同じ地域で、歴史に残る戦いがありました。「カルカ川の戦いです」です。 拙著の中でも述べていますが、時期が時期なのでまとめ直してみました。この地域の勢力図は、数百年単位で 大きく動いています。
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  ジャムカ Jamukha

モンゴル史の研究のために「金朝史の研究」という本を読んでいました。 障葛という賊が金国の国境付近に侵入したので、撫州、今の張家口市張北県に赴任していた完顔匡という将軍が撃退したという記事がありました。 この本を書かれた外山軍治先生は、障葛を遊牧民族の一派であろうと推測しておられましたが正体は不明としておられました。この下りを何回目かに読んでいた時です。 中国語で発音すればどうなるのかと思い、zhanggaと口に出しました。私は仕事で三年間中国に居て中国語の初歩を知っていましたので、章という姓の発音がzhangであることを知っていました。障葛の障も同じような発音だろうと思い、葛は日本語ではカツですが、多分二声のgaと推測したのです。 その時ゾクッと来ました。これはジャムカだと直観しました。「お前こんなところにいたのか」と、古い友人に出会ったような気持ちでした。 更に原典を当たると、その事件があった年が微妙でした。1196年の冬の事ではないかと思われたからです。まだチンギス・カンにはなっていないテムジンが、ケレイト部族のカンであるトオリルと共同して、 金国の完顔襄という将軍に追われたタタル部族の一派をウルジャ河に討った年がその年の夏でした。テムジンはその功績で金国から称号をもらい、金国に協力する立場になります。ジャムカの行動はそれから半年ほど後です。 極めて政治的メッセージが強いものと思わざるをえませんでした。その考えを大学の先生に送り、色々手伝ってもらって論考が出来ました。大学の先生の意見が入っている部分もありますが、 jamukha→jamkha→jangkaと音韻変化したという論の骨子は私の考えです。「クイテンの戦い」のページに添付した地図を参照すると、それぞれがどのような行動をしたかを想像できます。
松田孝一編集「13−14世紀モンゴル史研究」第2号(科研費(課題番号26284112)助成による)に掲載されました。 論考(pdf)を読む
 

  長春真人の旅 The Travels of Changchunzhenren

征西中のチンギス・カンは体力の衰えを強く感じたようです。不老不死の術を知っていると思われた道教の長老を招きます。だが、誰も出かけようとしません。只一人、長春真人こと丘処機が応じて西域に赴きます。 その時既に73歳。現代人が車で行くにもためらうような距離を、牛車と騎馬で一年以上かかってたどり着き、チンギス・カンに会って講話をします。不明点の多かったその全行程を追跡し、 二人が最初に会ったのは現在のアフガニスタンのバグラーンであることを明らかにしました。 経路の解明にグーグルマップが絶大な威力を発揮しました。 先に進む
 

  以前のHP掲載の論文

テムジンの前半生や地名に関する考察はこちらに移動しました。 先に進む
 

  コラム

コラム1 コサック Cossack
  コサックとはどういう人たちなのだろう。有名なイリヤ・レーピンの絵画で考えて見た。先に進む
コラム2 ウルク・タク
  地名、「キジル・バシの地」の中で、大きな山を意味するウルク・タクの位置を考証している途中で思いつきました。 日本にも大きな山という山がありますが、なぜか変な読み方をします。その理由を考えてみました。 先に進む
コラム 3 朝鮮の意味
  朝鮮は、”朝が鮮やか”の意味だ、としている資料が多いようですが、名付け親の漢土では決してそういう意味ではありません。 ネットやyoutubeで東アジア史を多く述べている識者の中にも、”朝が鮮やか”と言う認識しかない人がいるので、 中国人は決してそう言っていない、ということを強調しておくために、モンゴルとは外れますが触れておきます。 先に進む
コラム 4 二倍年暦が現代に存在?
 古代日本では、今の一年を二年に数えていたのではないか、との説がある。日本書紀には、百歳を超えるような年齢の天皇が珍しくないが、 決して二百歳超えや三百歳という荒唐無稽な年齢になっていないのが理由だという。 この説を言い出したのは、古代史家の古田武彦さんだと思うが、その後追従者はいないようである。
筆者は何と現代でもこの年齢の数え方が存在するように思われる映像を見つけたので、紹介したい。
場所は何と!!! タクラマカン砂漠である。 先に進む
 
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