チンギス・カンとその友人たち



 
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 最新記事 ボルテ奪還作戦の真相

テムジンは9歳で父親を亡くすが無事成長し、18歳の時、父親の決めていたボルテと結婚する、だが、間もなくメルキト族に襲われて、妻と異母弟ベルグテイの母親を奪われる。
「元朝秘史」では、テムジンがジャムカ、トオリル・カンと共に数万の大軍でメルキトに討ち入り、ボルテを無事連れ戻した、としている。 だが武力を用いれば人質の命が危うくなるのは当然であり、とても史実とは思えない。
「集史」では、ボルテが奪われたことは記しているが、武力行使には触れておらず、ケレイト部族のトオリル・カンに依頼して、 その政治力で取り戻したとしている。これが真実と思われる。
だが、メルキト部族にやられっぱなしでは、テムジン、いやモンゴル部族の沽券に関わる。 報復のために何らかの軍事行動があったとしても不思議ではない。ただ、平和裏にボルテを連れ戻してくれた トオリル・カンの顔を潰す程のものであってはならない。規模は小さいものだったのではなかろうか。
著書では触れなかった部分なので考えてみた。
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 出版案内

このHPの内容に加え、新たな歴史解釈も入れて、「チンギス・カンの駆けた道」を文芸社より出版しました。
読まれた方から、系図と年表が欲しい、との要望がありました。ここからダウンロードして下さい
モンゴル系図  チンギス・カン年表

「ボルテ奪還作戦の真相」の考察から、著作中の、 120pの図3−2「トオリル帰国路」の中の、グセウル湖への出迎路を訂正します。
グセウル湖への出迎路 
 

 テムジンの前半生と地名に関する論文

テムジンの前半生や地名に関する考察は著書にまとめました。元となった過去の論考はこちらに移動しました。
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 ジャムカと長春真人に関する論文と考察

金史に出てくる人物、障葛はジャムカである、との論考。
道教の指導者長春真人が、西域征服中のチンギス・カンに会いにゆく旅程の研究。
二つの論文は こちらに移動しました。
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 コラム

コラム 1 コサック
コラム 2 日本のウルク・タク(大山)
コラム 3 朝鮮の意味
コラム 4 二倍年暦が現在に存在?
コラム 5 500年前のウクライナ戦争
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